読了

ヒトラーのイメージとはどんなものだろうか。ヒステリックで狂信的で尊大な頭の悪い小男? 鉄の意思と神懸かり的実行力を持つ謹厳実直なカリスマ? どちらにせよ、それらは公的な場でのヒトラーの印象であって、実際に回りにいる人々に与えた印象はまた別のものだ。この本『私はヒトラーの秘書だった』では、この歴史上稀な人物の日常の姿が描かれていて、非常に興味深かった。


私はヒトラーの秘書だった


人間ヒトラーについて、単に記述してあるだけの本ではない。著者がナチスの中枢で働いていたという罪の意識をどう自分の中で整理していったのかという物語としても秀逸。また、栄華を誇った首都ベルリンが崩壊していく行く中で、最後の破滅的瞬間に向けてカウントダウンして行くスリリングなドラマとしても楽しめるだろう。




言うまでもなく、ヒトラーナチスの存在が悪の象徴、反面教師として世界に及ぼした影響は甚大なものがある。


しかし、戦前、人種差別や優生学的な思想はナチスの専売特許ではなく、世界中で勢力を誇っており、黒人差別はもちろん、黄禍論が真剣に議論されていたこともあったし、アメリカの32州、デンマークフィンランドスウェーデンでは断種法が制定されていた。日本人もその遺伝的血統に対する根拠の無い優越意識があった(今も?)。この手の例は世界中で枚挙にいとまが無い。現代の感覚と最も異なるのは、このような差別が単に政治的であっただけでなく、合理的・科学的とされ、高名な知識人・科学者にもそれを支持した者が多数いたということだ。


そのことを踏まえると、ヒトラーナチス的思想=絶対悪という第2次世界大戦で連合国が掲げた大義は、その後どの国においてもレイシスト優生学が主流派から外れて行く一つの要因となった言えるだろう。少なくとも教養ある人間は、そういった思想に与しないのが普通となった。もちろん相変わらず人種差別も疑似科学も酷いもんだが、もしもヒトラーという反面教師がいなければ(あるいは逆にドイツが勝っていても)、もっと凄まじい差別的思想が現在も科学的とされていたかもしれない。この本の内容とは直接関係ないが、ふとそう思った。


追記:
もちろん僕らが今、常識的価値観としているものが絶対的に正しく普遍的なものであるということも無い。百年後の人々には、その無知と偏見を笑われているのだろう。いずれの時代の人々も、その時代に洗脳されている。だからこそ、そこから少しでも自由であろうと足掻くことは大事なのだと思う。ただしその際、単なる自分の感情の正当化、属する集団の利益に走りやすいという罠も存在する。