僕は十五歳だった。

母校の山岳部が関東大会出場らしい。まぁ、僕の二つ下の代も関東大会に出ていたから、出場自体は吃驚仰天というわけではないけれど、いまだに山岳部が存在していることが判って、とても嬉しかった。


この山岳部は、二十数年前に僕が入部していなかったら、潰れていたのだ。


植村直己が消息不明になったことにショックを受けた中学生の僕は、高校では山岳部に入ることに決めていた。それで、入学してすぐに3年生の山岳部部長に会いにいったのだけれど、昼休みはいつもどこかに出歩いているらしく、まるで捕まらない。1年生の僕にとって、大人のような3年生の教室を何度も訪ねることは、結構なプレッシャーだった。5回目にしてようやく会えたとき、まるでインテリヤクザの顔をしたその先輩は、不気味な笑顔を満面に浮かべ僕を抱きしめて、「君は山岳部の救世主だ!」と言った。


その秋から2年間、僕は山岳部部長を務めることになるのだけど、それはまた別の話。