城巡り

kumojuza2008-09-15

三連休前半は、びわ湖ホールでJAMCA(日本男声合唱協会)演奏会のステージに立ってきました。土曜は合同練習+ゲネプロで、日曜日が本番でした。


元々の予定では、月曜に滋賀から長良川へ移動して、川遊びしてから神奈川へ戻るつもりだったのですが、連休前の木曜夜に車のセルモーター(スターター)が壊れるというアクシデントがあり、金曜夕方に車屋へ修理に出したという状況で、月曜日は丸一日暇になってしまいました。


それならば観光でもするかーというわけで、こういうときはやっぱり城巡り! 最近はカヤックで忙しすぎて御無沙汰ですが、昔から僕は、城や古戦場巡りが大好きです。




まず訪れたのは、京都観光定番の二条城。ここは、徳川将軍家の京都での宿所であり、徳川慶喜大政奉還を行ったところとして超有名ですよね。徳川家の権勢・盛衰を偲ぶには面白い城です。


その反面、江戸期に入ってから作られた城なので、いくさ好きにはそれほど面白いとは言えません*1。僕にとって城や古戦場巡りの醍醐味とは、繰り広げられた激しい攻防を、戦場に飛び交う怒号を、もののふ達の息遣いを、サイコメトリーで読み取ることにあります。そういう意味では、二条城はイマイチだったなぁ・・・。


というわけで、物足りなさを解消すべく、京都駅から近鉄線で南下して、伏見城にも行ってきました。


こちらは、豊臣秀吉が死去した城であり、徳川家康征夷大将軍補任の宣下を受けた城であり、関が原の戦いの前哨戦で徳川四天王の一人である鳥居元忠が一騎打ちの末に討死したことでも有名な凄い城ですね。いわゆる安土桃山時代の「桃山」ってのは、この伏見城のあった山のことですよ! それなのに伏見城は1625年には廃城になってしまって、実質30年ちょっとしか存在しなかった幻の城なんですよね〜*2


それどころか、現在では明治天皇の墓(伏見桃山陵)になってしまっていて、実際に城があったあたりは立ち入り禁止になってます・・・。いやはや、こんな歴史的な土地にバカデカい墓を作ってしまうなんて(本人が京都に葬ってくれと遺言したらしい)、随分図々しい奴だよなぁ、明治天皇は・・・。まぁしかし、元々ここらへんには長岡京平安京を築いた桓武天皇の陵があったらしいので*3、秀吉も明治天皇も図々しさでは同レベルと言えるかも。


そんなこんなで、桃山をぐるっと一巡りしてきましたですよ。こちらは二条城とは対照的に、殆ど人がいなかったので、つはものどもが夢の跡をじっくりと堪能できました。でも、お陰で足の裏にマメができてしまって、難儀しております。




伏見桃山陵中心部への階段。何気にデカくて急です。
上から見るとこんな感じ



伏見桃山陵の北にある模擬天守
伏見桃山城キャッスルランド:数年前から天守内部には入れなくなっています。)

*1:本能寺の変織田信忠が死んだのは二条城と書かれることが多いけれど、別の場所(二条新御所)です。時代によっていろんな二条城・二条御所があるのでややこしい。

*2:伏見城天守は、存在していた30年の間に、築城数年で地震で倒壊し、さらに数年後に落城したため、それぞれちょっと別の場所に建て直されています。現在の模擬天主は、かつての巨大な城郭の北端に位置していることになります。

*3:桓武天皇陵の所在地は、南北朝〜室町の混乱期に祭祀が途絶えて、分からなくなってしまいました。現在、公に桓武天皇陵とされている場所は、江戸末期の研究者の推定に拠りますが、それ以降の研究では否定論が多いようです。